邂逅
真っ直ぐな愛を望んでいた子どもは、音楽を知った、音楽を信じたいと思った。
音楽で子どもは、毎日が彩っていく、次は音楽を伝える人になりたいと思った。
形を変えては音楽を届けて、自分が自分らしくいていいことを知った、努力と負けず嫌いを知った。
音楽を通じて、人に寄り添うことの怖さを捨てれそうになった。
人と人が信じることができることを知った。
音楽を通じて「愛」というもの知った。
子どもは人に愛されることと愛することが存在することを知った。
音楽を通じて知った愛で、人が人でいなくなる怖さを知った、人は優しくないということ、人は残酷だということ。
音楽を通じて生と死を知った。
音楽を恨んだ。心底死を望んだ。
ベランダの柵から身体を離す瞬間に、憎いはずの音楽が何故か私を救ってくれた。
音楽で涙が止まらなくなった。
音楽で出会った、愛ある人に音楽で救われた。
音楽で周りが輝くようになった。
音楽で一人でも救いたいと思った。
音楽で存在意義がわかった。
音楽があればそれだけで、他人と楽しくなれることを知った。
音楽を通じて周りが素敵な人になった。
音楽を通じて人を愛したいと思う人ができた。
音楽を通じて、その人には愛するものがあることを知った。
音楽を愛したいと思った。
もしも音楽がこの世界から一切もの残さず消されてしまうとしたら、あたしは死んだっていいと思った。
心底大切な人ができたとして、もしも音楽とその人を選ぶなら音楽がこれからもあることを選んだ。
私を嫌ってくれ、
私は音楽がなによりも好きなんだ、
だから、こんなにも音楽がそっちのけにならざるをえない選択をさせるこの世間が憎い。
これが、私の愛なんだ。
GHOST
大人ってこんなに難しいんだったら、大人になりたくなかったな。
体と気持ちが、意思疎通できてなくて毎日私が私を生きていない気がする。
昔より、笑顔は減った気がする。昔より楽しいこと沢山見つけられなくなった。
本当に欲しかった物ってこれだったのかな、
こんなんだったら要らないなとか、ずっと無駄な悩みを考えてる日々です。

毎日付ける日焼け止めや毎日使う汗拭きシート。
毎日逃げ場にしている煙草や毎日の自転車と風。
毎日の洗濯や食器洗い。毎日の人と人の会話と人の視線や人の表情。
いつもと違う変化に気づいては、気にしすぎて、
毎日の自分を責めて、責めて、疲れた。
孤独が怖くて怯えてた少女は、孤独を望む大人になっていた。
あぁ、どこか遠くで一日何にも縛られないで、知ってる人との情報断ち切って、ただのんびり過ごしたい。
この私の見てる世界から逃げたいです。
天国
ほんの数日間、愛してやまない音楽を、心底嫌った。音楽をやりたくなくなった。音楽を聴きたくなくなった。
ほんの数日間のことだったけれど、これまでの人生音楽がいつも身近にあったから、音楽が遠いあの日々を長く感じた。
次第に、自分自身の存在意義すらわからなくなって、ベランダの柵から、思いっきり身を乗り出した。
あすこまでしたのは、最初だった。
そして、最後になるかもしれない。
変な話、どうせなら、滅茶苦茶にして、真剣にこんな世界からとっとと『死んでやりたかった。』
でも、滅茶苦茶にすらできる自分がいなかった。
寂しい人間だと思うかもしれないが、私が信じてきたのは音楽でした。人間よりも音楽を信じた。
人と音楽なら、音楽を取りたいと思っている。
子どもの頃から、人間は、信じても信じたことが苦しくなる時がたくさんある。
別に同情を買いたいわけではない。
けれど、ずっとそう思ってた。
人に心を開かない方がラクだと思った日々もあった。でも、それは上手くはいかなかった。
そんな中、子どもの頃に出会った音楽は、直接的にそうさせることはなかった。
ある時、私は、音楽を信じたことが阿呆臭くなることがあった。
ある一言が、私は要らないかもしれないと思った。
少しでも、信じてきたものが、全て崩れていった。
信じたいと思って勇気出したのに、これだから、駄目だった。
思ってなくても、その出てきた言葉には、私の自信を全てなくした。「大丈夫、きっとあれは、本心じゃない。」と思っても、消しきれなかった。
何日かは、食欲は消えてたし、自分からは音楽を聴かなかった。人と会いたくもなかった。
苦しくて、苦しくて、柵から身を乗り出したときに、これでラクになるかもしれない。なんて思った。
あの世界にいけば、なんて一日中考えてみたりもしてた。
でも、本心ラクにはさせてくれなかった。
まだ、やり残したことがたくさんあったし、
この世界の全てを放り投げだしたら、私はあの大切な人たちに、悲しい気持ちをさせるかは知らないけど、迷惑はかかると思った。
この世界の全てを、嫌いになりきれてなかった。
あの子の言葉が降りかかってきた。
「ずっきーは、最高だよ。」
きっと、漫画みたいで、ドラマみたいで嘘みたいだって思うんだろうけど、ひっかかったあの言葉が、私には大きくなった。
大分前にあの子がそう言ってくれたあの言葉が、こんなにも終わろうとする直前で、響く言葉になるなんて思ってもなかった。
でも、あの子は私が心底辛そうな時に、ふいに私にそう言って励ましてくれてた。
きっと、私のことだから死んでも、天国からだとしても、生きてた時の悔やみきれないことで、更に自分を苦しませるんだろう。
なら、私が、唯一自分を、好きに表現できる音楽をやるしかない。
あの子が「ずっきーは、最高だよ。」と言ってくれる限り、音楽をやって、あの子に、返していきたいと思うようになった。
心底嫌いになった音楽だけれど、音楽で通じた人たちで支えられてきたのは事実だし、あの子もそう。結局は、どこかで音楽だけは、捨てきれないから、辛くて苦しんでたんだと思う。
でも、その愛してみたかった、愛してるつもりだった音楽を、まだ信じたいと思っていた。
音楽は、永遠に私の大切なものであってほしい。
そう願った。

死んだ先に、おこがましくも、望んでしまう天国は、
安らかに眠ることができて、苦しいことは一切なく、解放されている。
永久の祝福を受け、争いなどはなく全てが無垢で耽美な世界。
でも、やりきれなかったことはいつまで経っても、忘れられない。
世界は無垢なのに心だけは濁っているよう。
向かうまでは夢でなくなる、
天国は永遠に理想にすぎない世界。
それでも開放をを望んで、行きたくなる世界。
だから、ユートピアみたいに、惹かれるのが天国。
永遠に理想郷。
ならば、この生きている現実で、少しでも小さな幸せを身近で感じるしかないのだろうと思った。
立派じゃなくていい、
派手じゃなくていい、そうやって自分らしく生きていきたい。
これが、私の伝えたかった「天国」
ゆるりとね。
毎朝元気付けに、ポストに菜の花が一輪投函されている。
菜の花の花言葉は「快活な愛」「小さな幸せ」「活発」「元気いっぱい」「豊かさ」とある。
私は朝はそのポストを毎日出勤する前に確認しては、笑顔になれることが嬉しい。
夜、帰り道悲観的になって涙がながれるような悲しくて堪らないときには、夜に菜の花がもぅ一輪入っている。
夜、帰り道大切な人とゆっくりと微笑みながら歩き、嬉しくて堪らないときには、菜の花がもぅニ輪入っている。
そうやって、いつだって見守ってくれてるみたいで、毎日が安定して送れるようになった。
昔は精神的に滅入ることが多かった。いつからか薬を複数常備するようになっていま。子どもの頃の話だから、何のために、何を制御してるのか、何を良くしてるのかとか詳しくは知らなかった。
ただ、飲んでいた。
大きくなればなるほど、必要は無くなったもんだから、次第に、薬との関係は切れたのが、嬉しいようで、何故か何処か寂しくも感じた。
今では、精神的に崩れかけたときに、その投函される菜の花のいつだって真っ直ぐに、綺麗に咲く姿を見ては、救われた。
時間が経つにつれて枯れてしまうのではなく、長く伸びていく姿は、人間にはない自然の生を感じさせた。
運ばれてきたのは、ただの花ではなかった。
運ばれてきたのは、小さな幸せだった。
小さな幸せが毎日毎日、どこかに落ちているということを知った。
それを気づけるかどうかは、自分次第ということも知った。
ある日、その花が廃れていくのをみて、廃れていっても美しくあるように思って、壁にぶら下げていった。
いつの日か「なんで吊り下げることを楽しむようになるんだろうか。そのまま終わりでいいじゃん。」と言われたことがある。
「死んだ人間みたいで、生きてる時とは別の美しさを放つ。そういうところに惹かれるの。」
そう言い返すと「サイコパスだな。」と言われてしまった。
確かに吊るされた時には、既に瑞々しさはこれっぽっちもないけれども、その菜の花たちはどこまでも真っ直ぐとしてて、枯れ果てても尚、美しかった。
私も死んだあとくらい美しくありたい。
どうか私が死ぬときには、Sigur RosのHoppipollaを流していて欲しい。
あの美しいアルペジオを聴いて、天国へ向かいたいんだ。
そしてたくさんの菜の花で埋めておいて欲しい。
死んだ後くらいは、美しくありたいと同時に、小さな幸せで埋め尽くされる人生だったことを、そうでなくとも、棺に残しておいて欲しい。
だから、毎朝の投函される菜の花を見て、必死に生きていくから、どうか死ぬ時くらい大きな幸せをいただきたい。

劇場
今日仕事終わりに最寄り駅ついて、本屋に行った。
23時は過ぎていたけれど、0時まで開いているからのんびりふらふらとしていた。
そこに自分が一番好きな本と言えるものがついに文庫化されていた。
趣味の話になったりするときに、「本読むの結構好きなんだよね。」なんて言う人と出会うことが多い。
あたしは、「本を読むことが大好きです。趣味です!」とは自分からは大きく言えないけど、本を読むこと自体は嫌いでないし、好きな方だと思う。
出身中学校に朝読書があって、それまで活字苦手だったけれど、山田悠介さんの「ニホンブンレツ」を読んで以来、山田悠介さんの本がすぐのめりこめるから、本を読むことは好きになった。
山田悠介さんの本は基本好きなのですが、
「特別法第001条 Dust」と「その時までサヨナラ」は、今でも心に残る名作。
この二つは活字苦手な方に、まずおすすめしたい本かもしれない。
あと、「8.1」という短編小説集の中の「黄泉の階段」は好き。
出身高校にも、10分間の昼読書の時間があったので、最初は山田悠介さんの作品ばかり読んでいた。
「名のないシシャ」「アバター」「復讐したい」「レンタル・チルドレン」を読んだ気がする。
この時に「その時までサヨナラ」も読んだ。
親しい友人に勧められて、読んでみた「君の膵臓をたべたい」は家のベッドの上でクライマックス号泣した。
その友人は「図書室で読んでたから泣くの堪えるの必死だったわ。」と言っていた。
ちなみに、実写化はその子と二人で観に行った。
図書委員なんかも、高校一年、高校三年で勤めたりもしてたな。一週間に一回、お昼休みに行って当番行うのは面倒だったりもした。
なんせ、お昼休みは友人とだべっていたい性分だったので。
それでお昼休みが終わって10分間の昼読書が始まるわけです。
そこで、本を読むと止まらなくて、5限目は本読んでしまうから、授業なんてそっちのけだった。
あの時はずっとひたすらに読む時間があった。
高校の頃は卒業間際まで、携帯も持ってなかったしね。
次第に高校三年で授業も少なくなったりして、
アルバイトもデニーズとファミリーマート掛け持ちして、教習所も通った。
そうすると一日に自分の時間はほぼなくなっていた。
この頃から自分のスケジュールに何もない日を作るのが嫌で、アルバイトはひたすらに入れ込んでいた。そうしたら、冬にもぅ限界きて、家で大爆発を起こした。
専門上がってからは更に読むことが少なくなった。
バイト三昧で、自分の家のことをやることで精一杯だったり、眠ることが好きなのでしょっ中寝てたしね。
でも、そんな中出会った本があります。
その本は本当に大切な作品。
本の話になると、聞かれてもないのに、好きな本はこれです。と真っ先にいつも言うくらいに、好き。
で、話はだいぶ戻るのだけれども、
今日本屋に行ったらその本が文庫化されてたんだよね。
帯に2020年映画公開となっていた。
前に実写化するのもキャストも知っていたけれども、いよいよだなと改まってしまった。
昔だったら、実写化反対!とか言いそうだったけれど、今は、「どうか、どうか、いい作品になりますように。」でいっぱいの気持ちです。
専門学生の時、その本をリュックサックに入れて歩いていたけれども、文庫化されてなかったから、
重かったなぁ。そして、厚かったなぁ。
でも、あの大きさの本をわざわざ出すという行為さえも愛着湧いてた気がする。
昭島にあるマルベリーフィールドというブックカフェに行って読んだことも思い出。
電車で移動してる時も夢中になって読んだ作品。
不器用な生き方、他人から見れば駄目な奴だなと言わるような人が自分なりに一生懸命生きて、人を愛していく模様が、切なくも、私には美しくも見えた作品でした。側から見たら、「THEクズ人間」と言われるような人の懸命さに惹かれてたのかもしれない。
それがどんな関係性かは自由で、大切な人を思うことって、簡単にできないということもなんだか身に沁みた。
自分が本で感じたのとは違う世界がある映画になるかもしれない。
それでも、好きな作品には変わりがないだろう。
そこそこに、四月が待ち遠しい。

あえて、本の名前を文中には、出しませんでしたが、又吉直樹の「劇場」でした。
恋愛小説か〜と毛嫌いされる方が多いと思いますが、これは恋愛小説としてだけで、読むもんじゃないと思う。でも、又吉本人も、「恋愛がわからないからこそ書いた。」と言っております。
まぁ気になる方いれば読むか、観るかしてみてくだされ〜。